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自立してほしい、けど頼ってほしい。こんなジレンマありませんか?

  • エッセイ

Medium 9309731854

教え子には自立してもらいたい。一方で、自立してしまって自分が不要とされるのが恐い。こんなジレンマを感じることがあります。成長を促しているとき、その他方には「頼りにされている」という満足感があります。相手が完全に自立するということは、その満足感を手放すことになるのではないか。こういった恐れがこのジレンマにつながっています。

このままでは、お互いにとって良いことはありません。このジレンマとどう向き合うべきなのか、考えました。

photo credit: shenamt via photopin cc

相手の自立=自分は不要?

わたしの目標のひとつに「生徒を自立させる」というものがあります。自分で考え、問題に取り組む人間を育てるのが自分の使命だと信じ、そうなるために自分の知識やノウハウを生徒に伝えています。

その行為にある程度手応えを感じると、自分が「頼りになっている自分」に満足感を持っていることに気づきました。いわゆる自己効力感というやつでしょうか。これを感じると、教えるほうも俄然やる気が出てきます。

一方で、この自己効力感と「生徒を自立させる」という目標に矛盾を感じる自分もいました。生徒のために教えることが自己効力感につながるのなら、生徒が自立して自分を必要としなくなり、自己効力感という快感を得られなくなるということではないか。このように考えたのです。

自己効力感を得るためには、生徒に成長しすぎてもらっては困る。極端言えば、こういった邪な気持ちがあったわけです。

実は前から無意識にやっていた

これを自覚しだしたのは去年の受験シーズンの頃でした。しかし今振り返ると、この矛盾はかなり前から心の内にあったことに気づきました。生徒が優秀であるほどに、「この先生はダメだな」と思われるのが恐くて、わざと難しい問題を出したり、「ここはダメだ」と細々とした注意を与えたりして、なんとか自分の優位性を保とうと必死でした。当時は「生徒のため」なんて言い訳をしていたけれど、半分以上は自分のためだったことは今考えると明らかです。

恐いのは、これらをほぼ無意識でやっていたことです。当時から「頼りにされる」ということを望み過ぎたせいで、結果的に生徒の成長を阻む行為をしていました。それでも自立させたいという気持ちはあったため、「自立するためには俺を頼りにしろよ」みたいな、ゆがんだ願望を持っていたのかもしれません。

ジレンマと向き合うために

今となっては、「自立させたい」と思う一方で「頼られたい」と感じてしまう傾向があること、その気持ちに影響された行動を取っていることに気づけたことは幸運だったと思っています。次は、このジレンマとどう向き合えば良いのか考えてみます。

このジレンマは元をたどれば、「自分に自信がない」というわたしの気質から来てきます。自信がないから相手の反応に依存する。相手の反応が望ましいものでなければ、その反応を操作しようとする。この思考が先ほどのような行動を生んでいました。

ならば解決策は単純で「自分に自信を持てばよい」ということになります。自立させたからといっても、自分の魅力は変わらない。"I'm OK. You're OK."な心の持ち方でだいぶ改善されるのではないかと思います。単純ですが、自分にとってこれは決してかんたんなことではありません。地道に気持ちを切り替えていく必要があります。

こういう気質の傾向を意識して生徒と向き合い、いつかは自分の強みに変えていけたら良いなと思います。

    最後まで読んでいただき ありがとうございました。

    何か一言添えてシェアしていただけると幸いです。

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