Opus 1123

「聴く」よりも「聞く」を大切に

  • エッセイ

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「傾聴」という言葉があります。これは読んで字のごとく「耳を傾けて聴くこと」なのですが、最近、この意味が拡大解釈されてるような気がしてなりません。「耳を傾けて聴くこと」に加えて、「相手を理解すること」や「相手の気持ちになって聴くこと」といったニュアンスが含まれていないでしょうか。

本来の傾聴はあくまで受動的な行為であり、主観的な解釈が入り込む余地はないはずです。どうしても主観的な感情を持ちこんでしまう人は、「聴く」を「聞く」にトーンダウンしてみましょう。

相手のことは絶対に理解できない。

「相手を理解しようとしない」という趣旨の話は、以前からブログに書いています。

相手とわたしは感じ方も考えるプロセスもちがうのだから、お互い理解することなど不可能です。このことを失念して、相手の気持ちになって考えるたり、相手の言いたいことを理解しようとしたりすることは、相手のなかに自分と同じ部分を見つけて、わかったつもりになっているだけにすぎません。そして、相手のなかの自分を見つけると、わが身のことのように親身になってアドバイスをしてしまいます。

こうして、傾聴した側は相手を理解したつもりになり、傾聴された側はひとりよがりなアドバイスを押しつけられ、「話を聞いてもらえなかった」と不満を募らせることになります。

「聴く」よりも「聞く」を大切に

「聴くこと」と「理解すること」をどうしても切り分けられない人は、肩の力を抜いて「聞くこと」にもっと集中してもらいたいと思います。

わたしの好きな言葉に "答えは相手のなかにある" というものがあります。悩みであれモチベーションであれ、その答えは本人が気づくべきものであり、他人が容易に口出しできるものではないはずです。話を聞く目的は、アドバイスをすることではなく、ただ話を受けとめることで、相手自身が答えを見つける手助けをすることだと思います。

相手のためにもあなたのためにも、「傾聴」の意味をもう一度考えなおしてみませんか。

    最後まで読んでいただき ありがとうございました。

    何か一言添えてシェアしていただけると幸いです。

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