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「2416×0.25= 」←暗算できる?

  • ライフハック

2013 04 18 14 01 42 2

わたしの計算のクセと言いますか、ほぼ無意識で使っている暗算のテクニックをご紹介します。誰に教わったわけでもなく、数をこなしているうちに自然と身に付いた技なので、「おんなじことやってるわ~」と思われる方もいれば、「へぇ~なるほどねぇ」と感心する方もいると思います。

タイトルの「2416×0.25= 」を小学生に計算させると、全員がまじめに筆算で解いていました。もちろんそれでも正解は導けますが、計算ミスをしたり小数点を間違えたりと誤回答が頻発しました。(これはこれで心配なのですが……)

わたしの計算テクニックを使えば確実に計算ミスを減らし、電卓よりも早く解答できるようになります。

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【ネタバレ】『向日葵の咲かない夏』のタイトルに隠された本当の意味

  • 読書感想文

Sunflower 11574

「向日葵の咲かない夏」のラストに隠された大オチに気づいた? - NAVER まとめ

改めて読み返してみましたが、やはり両親がミチオを助け、ミチオ(とミカ)だけが生き残った、というのがわたしの解釈です。

それよりも気になったのが、作者である道尾秀介さんのツイート。

たしかにトリックについて言及したものは数あれど、タイトルの意味について述べたものは見当たりません。そこで、この『向日葵の咲かない夏』というタイトルに焦点を当て、わたしなりに解釈した内容を書いていきます。

作品に登場する向日葵

作中において向日葵は、はっきり言ってそれほど存在感のあるものではありません。事件を解決する重要な要素であることはたしかですが、ガラスの瓶だとか石鹸であるとか、もっと言うと油蝉のほうがわたしには印象的に思えました。

作中で向日葵が初めて登場するのは、ミチオがS君の死体を発見するシーン。

風に吹かれて揺れる、黄土色のカーテンの端が、窓枠の下のほうからちらちらと覗いている。そのちょうど正面に、向日葵がたくさん咲いているのが見えた。(P22)

この向日葵が、S君が死の間際に見た最後の光景になります。

「暗くなっていく視界の中で、きらきら明るく光ってさ。ほんと、まるで神様みたいだった」(P154)

このS君のセリフは、結局はミチオの妄想です。向日葵という花にきらきら光る神様みたいという印象を受けたのでしょう。

次にこの向日葵が登場するのは、S君の自殺に疑問を持った古瀬泰造がS君の家を訪れる場面。ここで向日葵の中に1本だけ咲いていない花があることが明かされます。

あけ放たれた窓の外に、向日葵が咲いている。10株以上はあるだろうか。 (中略) 巾着のように縮こまり、ぶらりと垂れ下がっている葉が一つあるが、きっとあれはアブラムシの仕業だ。よく見ると、その1本だけ花が咲いていない。(P200)

「向日葵が1本、アブラムシにやられてますね。葉がひらく前に、奴らにつかれると、ああやって葉が巻いてしまうんですよ、巾着みたいに。花が咲いていないのも、そのせいでしょう」(P204)

アブラムシのせいで花が咲かないことはつまり、過去の出来事が成長を妨げてしまうことを暗示しています。

咲かなかった向日葵は、ミチオ?

作品の冒頭、終業式のホームルームのシーンで、夏休みを前に浮かれるクラスメートとは対象に、非常にナイーブになっているミチオが描かれています。あまりのギャップに、はじめは「ミチオは実は、すでに死んでいるんじゃないか」と予想しました。

この対比が、後に向日葵を用いて表現されているのではないでしょうか。

つまり、

  • わいわいと騒ぐクラスメート = 満開の向日葵
  • 心を閉ざしたミチオ = 咲かない向日葵

という対比です。

ミチオには、自分のいたずらのせいで妹を殺してしまったという過去があり、それがトラウマとなって心の成長を曲げてしまった、と考えられます。

死者が別の生き物に生まれ変わる妄想をミチオが持ち始めたのは、妹が死んだ直後からだからです。

さらに、自分の言葉が原因でS君が自殺してしまったという事実がミチオの心を完全に壊してしまいます。彼は「S君は殺された」「S君が自分の死体を取り返してほしいと願っている」というシナリオを作って自分の心を守ろうとしますが、最後の最後で耐え切れなくなり、部屋に火を点け自殺を図ります。

そのとき溢れた心の声が次のセリフ。

「僕だけじゃない。誰だって、自分の物語の中にいるじゃないか。自分だけの物語の中に。その物語はいつだって、何かを隠そうとしてるし、何かを忘れようとしているじゃないか」

アブラムシにつかれたせいで、巾着のように縮こまった葉は、殻に入ってしまったミチオの心を暗示しているのではないでしょうか。

結論と、もう一つの推測

『向日葵の咲かない夏』とは、過去のトラウマによって心を閉ざしてしまったミチオを意味しており、ごく一般的な子どもとミチオの、光と闇を対比している。

 

あともう一つ、ラストシーンで一緒にいたのが「何」だったのかという問い。

ミチオをかばって死んだ両親が何かに生まれ変わったとすれば、作中にあるように、お父さんはカメ、お母さんはカマキリになったと考えられますが、あのラストシーンにおいてなんだか違和感があります。

もしかしたら、2人は油蝉になったのかもしれません。そして、その夏の終わりに油蝉が死に、翌年トカゲが死んでも次に生まれ変わらなかったことから、ミチオは一人で生きていくことを決心したのだと思います。

 

人に話したくなる数学。『5分でたのしむ数学50話』

  • 読書感想文

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最近、17,000,000桁を超えるこれまでで最大の素数が発見された。その上、この素数は、48番目のメルセンヌ素数(2のn乗-1で表せる素数)だという。

 

「これまでで最大の素数」を発見 « WIRED.jp

 

「それで、何の役に立つの?」 そう思った人も多いはず。膨大な時間と苦労をかけて発見された素数が、実生活においてどのように役立つのか。

結論を言うと、ただちに影響はない。暗号通信に利用される素数でも、たかだか数百桁程度のもので十分だからだ。

 

このような「何の役に立つかわからない」というところが、数学嫌いを増やす要因だと思う。

 

それはもったいない! 数学は役に立つし、おもしろい! それを教えてくれるのが本書『5分でたのしむ数学50話』だ。数学にまつわる小話、実生活に密着した数学の話など、興味をひかれる話が50話収録されている。

数学嫌いでも、読めばきっと誰かに話したくなるはずだ。

余りの数だけ賞金プレゼント

  1. 好きな3桁の数を思い浮かべる。
  2. その数を2回並べて書く。(例:「185」なら「185185」)
  3. その6桁の数を7で割る。
  4. 7で割ったときの余りをコメント欄に記入する。

余りの数×1000円をあなたにプレゼントしたい。さてわたしは、一体いくら用意しておけばいいのだろう。

同じ誕生日の人が出会う確率

ある同窓会に23人のメンバーが集ったとする。そのなかで同じ誕生日の人がいる確率は何%か。そんな偶然があるかと思われるかもしれない。しかし、実際計算するとその確率は50%になる。

 

この確率はもちろん人数が多くなるほど高くなる。30人なら71%、40人なら89%になる。23人以上の人がいれば、むしろ同じ誕生日の人が見つからない可能性のほうが低いのだ。

この世でもっとも美しい公式

数学者の間で「もっとも美しい公式はどれか」という議論がおこなわれた。それで選ばれたものは『オイラーの公式』と呼ばれるものであり、式は次のようになる。

Euler

それぞれ違った領域の記号の間に、極めてシンプルな関係性があったことが示されている。

これはまるで、偶然東京で知り合った5人が実は同じ町出身だったというような奇跡にも近い発見である。

メルセンヌ素数は偶然か

冒頭の話、発見された素数がメルセンヌ素数だったのは偶然なのか。実は今、素数はメルセンヌ素数に限って探索されている。

 

新しい素数が発見されるとそれが正しいかどうか確認しなければならない。正攻法でいけばその素数を1つずつ割っていけばいいのだが、それには現状最高スペックのコンピュータを用いても数百年という膨大な時間がかかる。

一方メルセンヌ素数については、ルーカス・レーマー・テストという効率的な検証方法が確立されていて、確認の時間を大幅に短縮できると言われている。

 

そういった理由から、今回発見された素数はメルセンヌ素数だったのは必然だと思われる。そしてこれから見つかる(さらに大きい)素数もメルセンヌ素数になるだろう。

本の余白はもっと大きく

数学者を長年悩ませた問題の一つに『フェルマーの最終定理』がある。この問題は、「ピタゴラスの定理をもっと拡張して、この式の自乗を3乗、あるいはもっと大きな累乗になっても公式は成立するのか」というものである。

フェルマーは、それは不可能だろうという確信に至ったが、残念ながら彼は本の余白に次のようなそっけない注釈を書き込んだだけだった。

私はこのことを証明した。しかしそれを記すには、この余白は小さすぎる。

およそ300年後、イギリスの数学者アンドリュー・ワイルズによってこの問題は解決された。しかし、そこにはフェルマーが当時知るはずのなかった公式が用いられており、フェルマーが本当に証明できたかどうかは結局誰にもわからない。

あのとき本に十分な余白があれば、もしかしたら人類は300年前に1歩先を進めていたかもしれない。

数学は神の言語

かつてガリレオ・ガリレイは次のように語った。

自然という書物は数学の言葉で書かれている。

自然を理解するには数学が切っても切り離せない。現代ではコンピュータや暗号通信など、自然以外の分野にも数学は応用されている。

 

数式をひとつ証明することは、陸上選手が世界記録を目指すのと似ている。それは人間にとって未知の領域に踏み出すということだ。その証明が果たして生活の役に立つかはわからないが、誰も知らない世界を体験できることは、とても魅力的なことのように思える。